驚愕!透明なる幻影の言語をたずねてパート2

ことばの力をたずねながら、主に近・現代詩の旅にでたい~時には道を外れながら

われ発見す、夢の島!ー瀧口修造「星と砂とー日録抄」を読む

 

 古書店で見付けたぼくにとっては、まさに夢の本であった。ここには、浅草と新宿というふたつの街が、夢みる現場のように現れる。銀座や渋谷ではない、まして六本木や赤坂、麻布界ではない。だが偶然のようにふたつの限定されたこの場所は、あたかも取りかえしのつかない未生の夢が降る街であるかのように、作者の創造の現場をうつしだすからだろうか。胸躍らせて頁をめくった。

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そこには「星と砂と」いう物質の夢。鳥や植物という儚い命がかがやく夢。あるいは「現れる自然、消える自然」の中で生きぬく人間たち。おそらく私たちの綱渡りのような「存在証明と不在証明」の接線をみつめながら、その可能性を問うのだけれど。「あの頃は、カミナリ・オロシが空へ舞いあがったものだ」と思わせる仲見世での懐かしい夢から覚めて、いきなり、太平洋戦争でついに還らなかった若い画家の大塚耕一を偲びながら「彼はなぜ最後に、淡いタッチで、誰も乗らない自転車など描いたのか。」と、書きしるすその哀悼が胸にしみる。

 

この詩集の中の作者の湿り気のない乾いた言葉はどこからくるのか。肯定も否定もせず、ただ中間項であろうとするかのような留保という思惟による不断の思索。さらに、星も砂もたんなる物質ではないもう一つの輝かしい生命体でもあるかのようにその語源を科学的に探ろうとする。言葉に絶体の純度を求めてやまないの意志の強さあるいは脆さが光源化するのだ。

 

 

「星または石」というこの言葉の強度な透明感は「肉眼の夢」ではけっして見えないものかもしれない。地上に墜ちてくる鳩や雀を目撃することはあっても、それはまれであり「彼らは、どこへ、みずから姿を消すのか。自らの死を隠すかのように」確かに自然の死の姿は私たちには見えない、まるでだれかの手によって隠されているかのようにだ。あるいは「枯葉は植物の部分死か! 」この一行の向こうに自然の摂理を超えて見えてくるものがあるのだろうか。

 

「時間を領有することのできぬ人間が空間を領有することができるか?」という問は、なぜか問のままである。はじめから答を求めない問。

 

それは、かつて世界の時空間の中で沈黙を強いられた自由という束縛の恐怖から永遠に逃れられないといった悲しみのせいかもしれない。作者が「新宿の地下道で、与論島のスター・サンド(星砂)といって、学生風の男から、一摘みの白っぽい砂らしいものを買った。私はこうしたものの存在も名前すら知らなかった。」と、

 


帰宅して半信半疑ながら星型の微粒を顕微鏡で見ておどろく。「この骨片のような星形」の存在に無言の衝撃を受ける。そして、そこから無限のように思惟が発展していくのだ。「星砂」はその形状や存在について訪問客のたれかれとなく話題にするが、確かなことは分からず、意を決して科学博物館に訊く。「これは海中に住む原生動物の一腫で、有孔虫目で、単細胞のアメーバの類の残骸、という」その正体が分かる。ぼくもアメーバの残骸には驚いた。

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ところで、「星砂」というのは「生物学的事実から離れていわば抽象的俗名なのである」といった発見が古生代以前から生存している生物であることへの驚きと尊厳めいたものを感じさせる。

この連想から、星が五の鋭角もつ、ひとでの五本の手のように。人の手を想起させる理由を問ながら人は己の掌に星をよむ。まるでこの世に生まれたことの意味を問うかのようであり、その運命をかぎわけようとする不安な意志のようにも見え、文字の最も古い範疇にはいるシュメールの初期の楔方文字に原型があったことをたしかめる。印刷のアステリスク(*)は、その果ての痕跡かと、思う。

 

だから(*)は、天体の興亡を象徴したものにすぎず、魔術や幾何学とのどのような抱合いであったか。けれども作者は「符号や象徴の迷路に好んで踏み込むのは私の本意ではない。ただ発生の現場に引きつけられるだけである」と告げるのみである。

 


作者は言葉を記述する行為において同時に言葉を殺戮するという、おおきな矛盾と背理のなかで生きぬいてきたのであったか。「人間は砂になれるか。」確かに「人砂」とはいわない。人の砂とはいえても。「人砂」というには言葉の歳月があまりにもたりないのではないか。

 

骨を粉々に砕き、風雪に晒したところで、星砂とは違って、きっと、膨大な歳月の光と影の交接が必要なのだ。作者の言語活動は、だからどこかに闘うものの知的な輝きが、不断のまぶしさが、現前せしめるゆいつの手だてとなるのだろう。


あらためてこの古書の中で、ことばがことばで復讐することの不可能な状態、絶体への志向を秘めて。なにものかを受け止めることになる。それはどこか孤独の豊かさを秘めて。悲傷のイメージから逃れることができない。(了)