驚愕!透明なる幻影の言語をたずねてパート2

ことばの力をたずねながら、主に近・現代詩の旅にでたい~時には道を外れながら

今日で投稿十日目である。何を書こうか迷いながら書いてきたけど、やはりたいしたことがないらしく、読んで頂けないのは残念に思う。つまりおもしろくないということなんだろうとおもう。 ところでいまは「立原道造」と平行して「中也中也」ノ-トを綴ってい…

明治大正身新詩書概表3

明治十九年 新体詩歌全集(創作及び翻訳) 竹内節編。4月、鶴声者発行。 纂票新体詩選(詞華集)竹内隆信編。九月、泰陽堂発行。 新体詞華少年姿(詩集) 山田美妙著。十月、香雲書房発行。 唱歌(書生歌)大和田建樹著。 雅歌(聖書)聖書翻訳委員譯。大英國…

非人称の夏

むろん死後にも悩みはつきまとう渡し船などはみえず幻の夏の砂浜で、誰かのよぶ声がするが水先案内の超老人もみえず現世にひきかえすわけにもいかない(誰かが石の頭で釘を打つ…この世の別れに音も凍えていたか) 比喩のようにふりかえる あなたに対するつよ…

悲鳴

はっときずくと安楽椅子にもたれたまま私にもどる一瞬の闇、いかにも甘い記憶が拭い去られるとは信じがたい無言の時の欠落に魅入られていたくらくらするような喪失感にどことなく酔いしれていたわけではなかった 部屋の色も匂いもかわりもなくこのまま向こう…

影の爪 (現代詩)

その影は人の重さを忠実に支え、なぞり、自らの存在は主張しないむろん、影はいのちの明暗をあばきたてること以前に見えないもののありかを焼きつけてはなさない その影があって息づいている世界の単純な仕組みはなにより悲鳴の的になりやすくあえて見ない、…

実感という資質-吉浦豊久詩集『或いは、贋作のほとりに佇む十七夜』について

詩とエッセイと写真が渾然一体となったムック形式の詩集は近頃めずらしい。そのうえこの吉浦豊久詩集は、前詩集 『或る男』から十九年ぶりの第三詩集であることに、感慨深いものがある。かつて菓子職人として富山市内で菓子店を構えていたころからの詩的出発…

われ発見す、夢の島!ー瀧口修造「星と砂とー日録抄」を読む

古書店で見付けたぼくにとっては、まさに夢の本であった。ここには、浅草と新宿というふたつの街が、夢みる現場のように現れる。銀座や渋谷ではない、まして六本木や赤坂、麻布界ではない。だが偶然のようにふたつの限定されたこの場所は、あたかも取りかえ…

立原道造ノート②-習作期の短歌のころ

(二) 立原道造が四季派の詩人と喚ばれることもあるがこの系統は、鮎川信夫によれば「永年にわたり伝統詩によってつちかわれた私的情操を基底としたものだが、本質的な隠遁主義だとおもう。」隠遁というのは俗世界から逃れるという意味もあるのだろうが、「…

静かな驟雨〔現代詩)

静かな驟雨 かつてのあこがれが色を失い、声を失い、歌にもならない風景の塵の山を思い描く肋骨あたりにぶらさがる食い散らかした西瓜の種で叱られた日が甦る空想のぬけがらかハンノキの幹にしがみついていた仲間たち 甦るぬけがらの熱い庭にも驟雨が通る昼…

空所〔現代詩)

空所 住処を逐われた野の鳥は孤の恐怖におびえ記憶の淵で天変地異と言う動機をひそかにねがう朝は眠りの余白のなかもう少しベッドの中でまどろんでいたい口のないひとの言葉も、母との日々のつながりのなかでだけ無意味な優しさと思いがけない凶暴性を秘めて…

明治大正新詩書概表2

明治十五年 新体詩抄(詩集-翻訳および創作)外山正一、矢田部与四郎、井上哲治郎会著 丸屋発行。 新体詩歌第一集、第二集(詩集-翻訳および創作)竹内節編。 明治十六年 新体詩歌第三集、第四集(詩集-翻訳および創作)竹内節編。 Fugitive Ver 横浜某所…

今日の名言-夏目漱石

「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」 (夏目漱石『吾輩は猫である』511より)

立原道造ノート①

(一) 立原道造の詩に初めてふれたときに感じた「哀切」なもの。その裏側には滅びの予感が漂っていて、死のにおいに敏感な若い頃は、一時夢中で読みながらもいつしか離れていった。時間に縛られた読者の身勝手さは誰にも咎める事は出来ないが、あらためて詩…

今日の名言-ゲーテ

「人間はどんな荒唐無稽な話でも、きいている内に自然とこれがあたりまえと思うようにできている。そして、それがすでにしっかりと根を下ろしてしまう。だからこれを削ったり抹殺したりすると、とんでもない目にあう。」 (ゲーテ『若きウェルテルの悩み』7…

中原中也ノート②

中也が三十歳の若さでなくなるのだが生前と死後に出版された詩集が二冊あるだけだが、どうしてこんなに昭和詩人の中では一流の抒情詩人と評価され読み継がれているのだろうか。私の単純な疑問は鮎川信夫の文章で(「日本の叙情詩」)でおおよそ納得できた。 …

明治大正新詩書概表(連載1回)

明治大正新詩書概表(新潮社版)を連載で掲載します。 維新前 1後夢路日記(中島廣足著)文政六年開板 「やよひのうた」「又同じ心の歌」の訳詩2編も載っている。 2Loefden HeeR! (思いやつれし君?)(訳詩・勝海舟訳。 明治二年 世界國書(口誦地理書)福沢…

詩 東雲草

腐りかけの果実の甘さがしのぎをけずった時代わすれの死の勝利を、読む 明治のストライキ節は名古屋旭新地での東雲楼を廃業に追いこんだ娼妓の唄と、知る 熊本説をまたいで江東区豊洲の東雲橋をわたるとまぼろしの東雲飛行場の跡地に至る 露地から露地へ鉢植…

伊東静雄ノート①

伊東静雄の詩業が近代詩の流れの中でどのような位置におかれているのか、について私はしらない。で、始まるかなり古い文章(一九七九年三月発行・「ルパン詩通信」)がみつかったので、今回はそれをここに書き移したいとおもう。今年になって書いた詩人論で山…

今日の名言

「ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな!」 (二ーチェ『ツァトゥラストラはこう言った』(上)169より)

今日の名言

「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするをいうなり、衣食を𩜙(ゆたか)にして人品を貴(たっとく)くするをいうなり。」 福沢諭吉『文明論之戦略』(60-64より)

犀星と光太郎と無名の同人誌詩人(舟川栄次郎)について

ひたすら詩を表すことに生涯をかけた詩人のひとり、全国的にも殆ど無名に近い、戦前から戦後のはじめにかけての北陸の詩人舟川栄次郎の詩的軌跡を振り返ってみたい。* 室生犀星が自らの著書で、生涯の好敵手であったという高村光太郎について、あらゆる面で…

天蚕糸・詩人論 中原中也ノート①千葉寺での詩作など

中原中也が二度目の精神衰弱が起きるのは昭和十一年である。太宰治がバビナール中毒により東京武蔵野病因に収容されたのが同年の十月、その翌月の十一日に、溺愛していた文也が小児結核で急死。やっと築きかけた幸せな生活が崩れ去る。文也の遺体は中也が離…

寺山修司私論ー《歌の別れ》は何をつかんだか。

(一) 寺山修司が出現する一九五四年までの歌壇は、「沈滞を進化と勘違いするほどに長老が絶対権を持った部落であった。」と言う中井英夫が見いだした寺山修司の出現は「まさに青春の香気とはこれだといわんばかりにアフロディテめく奇蹟の生誕であった」と…

「日本海詩人」と詩人大村正次について(初めてのブログです)        

井上靖や源氏鶏太など、若い頃の詩作のよりどころであった北陸の詩誌。「日本海詩人」の編集者であり詩人であった木村正次についての足跡を記しておきたい。 木村正次は、石動に住み、県立高岡中学(元高岡高校)の教諭であった。明治二十九年(一八九六)六…